私ごとですが、昨日は、子供のためにカブトムシ・クワガタを
獲りに走り回りました。
早朝、まだ暗い間に、もともと目星をつけていた
クヌギの木にいってみると、そこにはカブトムシは居ず。
このままでは終われないと、昼間、
蜂蜜をしみこませたスポンジを
山に入り、何本かのクヌギの木に縛りつけました。
この方法は、先日、カブトムシ獲りの名人と呼ばれる人が、
ニュースで紹介していてそれを真似たのです。
夜、勇んでその場所に行ってみると、
そこには・・・・・。
やはりカブトムシは居ず。
妻、息子には豪語して家をでたものの、
このままでは帰れないと、
真っ暗闇の森の中で、懐中電灯を片手にクヌギの木を探し回って、
ついに見つけました。
カブトムシの雄と雌、クワガタの雄をそれぞれゲット。
ようやく家路につけたのでした。
たかがカブトムシ獲りですが、
カブトムシ獲りにもマーケティングの要素がしっかりと詰まっていると
感じました。
いくつ → 最低一匹のカブトムシ、クワガタを
何を → カブトムシ、クワガタを
誰に → 5才の息子に
どのように → 山に蜂蜜をしみこませたスポンジを仕掛けて
なぜ → 息子を喜ばせるために
誰と → 昼間は息子と二人で、夜は私一人で
いつからいつまで → 昼(仕掛け)から夜(捕獲)まで
誰のために → 息子のために
どこで → 近郊の山中で(目星をつけていたクヌギの木のある場所で)
誰が → 私が
いくらで → 無償で
それぞれの要素を明確にしていたからこのカブトムシ捕獲作戦が成功したと思っています。
ただ、一旦は、仕掛けた場所にいなかったので、作戦は失敗しかけた。
ただあきらめなかったので、結果的に他のクヌギの木で捕獲できた。
行動することで、道は開ける。
ここにも、マーケティング(営業)の極意があるのかもしれません
